詩作品紹介
ハンフォードサイトの託宣 長谷川龍生
シアトルから車で四時間
コロンビア川の畔にハンフォード町
往ったことはないが その場所に到着したい
ザ・ハンフォード・デス・マイル
いやな呼稱だが そのように呼ばれている
核兵器工場の痕地 有害廃棄物
固形放射性廃棄物 汚染の土壌 構造物
染み出した地下水 地下タンクに眠る貯蔵された何百万ガロンの廃棄物を
この目で見たい
でも見られないのが 本筋である
放射能性の野ウサギの死体を見たい
汚水を飲んだ野ウサギの糞を見たい
今を、この眼で、生きている眼で見たい
核開発の原点、閉鎖して、その痕跡が在るのか無いのか 見たい
ただの あたりまえの風景だよ と
辛うじて生き残ったインディアンは言う
除染の完了未来日はいつだろう
2058年ぐらいと言っている
被爆、流産、先天性異常、稀有な小児病
アメリカの行政は 闘ってきたが
そんなものは昔語りさと 誰もが言う
ぼくの頭脳にある日本の伝統物
興福寺にある阿修羅立像の内部に
虻(アブ)と蚋(ブヨ)とが群れを成して 唸っている
シアトルから車で四時間
コロンビア川の畔にハンフォード町
往ったことはないが その場所に到着したい
裂かれた八月の空 長津功三良
ひろしまの 空は 八月になると
いつの間にか 次元の違う層が 幾つか 重なる
あの日 異次元へ飛ばされた空が
どうやら 斑になって 戻ってくるらしい
ひろしまには 若者や 転勤族の
知らない 場所がある
ときに 建築現場などで ぽっかり口を開けるのだ
渦巻く 螺旋時間が 接触したり 切断されたり
肥満した 煌びやかな風景が 捩れ
蒼い裂け目から 時折 高音の 悲鳴や
水をくれ という 掠れ声が 聞こえたりする
痩せた 干潮の 反転した川 流れ
夏の 緑濃い葉を映し 橋上の 轟音を 遮断する
垂れ下がった 露わな乳房を 曝し
歯の抜けた 老婆たちが よたよたと
石垣を 伝い降りて べちょべちょの 掌に
握りしめた 蒼い放射能石を 置きにくる
そういえば そこいらあたり
かすかに 蒼く ぼんやりと 光っている
薄暗くなりはじめると どうやら そこは
消えかけた 影たちの 集まる場所になっている
つるつる 腫れた焦げ茶の 傷痕から
どぶどろの 粘っこい 血が 垂れている
螺旋時間は 折れた時針の
先っぽで やっと ぶら下がっている
何時しか ぐらり 傾斜しはじめた 街は
黄昏から 夜に入り
熱気を 立ち登らせ 溜め
萎えた 街の 風を止めて
夕凪の 蒸し暑い
汗の 時間になる
八月の夕凪 上田 由美子
広島の夏は
夕凪が街を覆う
一日に一回 夕暮れ時
風を一斉に止め
木々が葉音を止め
空気が微動だにしない
広島の夏は
街全体がこの時 静止する
晩景 色を伏せ
黙祷するかのように夕凪に従う
この時間
公園のブランコはゆれ始め
ベンチには夕陽に透けて人影が座る
水面から蒼い光が立ち上がり
岸辺に浮いていた小船を音もなく
滑るように漕いでいく
橋の欄干から
土手の芝生から
花時計の香りの中から
この世を懐かしみながら
追憶の糸をほぐしながら
ほんのりとかすんだ暮色に抱かれて
被爆者たちの霊が
無常の苦界に一時を憩う
やがて風が
夕凪の終わりを告げはじめると
街は一斉に動き始める
誰も束の間の鎮魂を見た者はいない
広島の夏を語り継ぐことの苦しさに
ケロイドの刻印を隠しながら
己の影を引きずったまま
人生を終えようとしている年老いた人々
私は被爆者として道の最中にある
原爆ドームを正視出来ない呪縛に捉われながら
八月の鐘を音もなく鳴らし続けるのだ
痕跡のない街 長谷川龍生
だれかが火の矢を空に放った
ビカドン
空の小鳥の首をつらぬいた
小鳥は そのまま消えた
青い空は知っていた
小鳥を空にかえせ!
八月のその日は 上田 由美子
また夏が来た
体の奥から汗が泡立つ
大地の底からも地熱が湧き立つ
蝉の鳴き声が読経と重なる
病葉を風が抱き込んで通り過ぎる
川の流れが絆を引きずる
祭りのような
集まり方をしないでください
苦しみが倍増し
火ぶくれした夏が疼く
ここを踏まないで下さい
悲鳴が聞こえるのです
八月六日の平和公園を
一日だけの墓地にして
いつも同じメッセージを
おおむのように繰り返さないで下さい
祈りよりは祈りを秘め
詩うよりはうた詩を秘め
無口になることが
一番の安らぎ
誰も私に話しかけないで下さい
いま闇の底に身を潜めています
目も耳も塞いで
密かに秘めた私の追憶の季節
川ばた辺から飛び立った一羽の白鷺が
無辺の青へ溶けていく
わが基町物語 Ⅰ 長津功三良
ピカドンで ひろしまの街が 壊滅してから
復員した父親と 棲みついたのは
基町五十五 のち一丁目五十五番地
元々は 広島城川寄りの 第五師団輜重隊跡の国有地
市営の被災者用急造バラック住宅群であった
とりあえず 形だけでも 屋根があった
二畳の土間玄関と 四畳半と 六畳の二間 押し入れが 一つ
柱は 垂木 薄い板を貼り合わせた屋根 天井はない
雨漏りがひどかった
のち 焼け跡から 赤茶けたトタンを拾ってきて 屋根に打った
便所は 小さな壺を埋め込んだ汲み取り式で
何日か使うと すぐに 溢れた
小便は 空き地を勝手に占拠して作った畑に した 作業場を建て増しをして
家業の 新聞販売店の 仕分け台などを作った
転校した新制中学校は ゲンバク旧産業ドーム奨励館の前を通って
橋桁が鉄骨でぶら下がっている相生T字型橋をわたった対岸
本川小学校L字型校舎の一角に 間借りしていた
間仕切りもなく 窓枠だけで 酷い雨漏りがした
人らは 放射能などのことは 全く判らず
その日 その日の 喰い物の事ばかり 考えていた
ぼろぼろの 肉体だけでなく
みんな 暗い心にも ケロイド傷跡を抱え
今日のことだけを思って 生きていた
ピカ原子ドン爆弾で死んだ人のことは 考えないようにしていた
何もかも忘れようとして ただ それぞれが こっそりと
懐に 自分だけの 蒼く光る石を 隠していた
私は 毎日 焼け跡を 裸足で歩いた
町は どこからも 死の 臭いが していた
黄昏には 真っ赤に膨れた太陽が
はるか 黒ずんだ影の 中国山脈に
墜ちた
わが基町物語 Ⅱ 長津功三良
冬の 雨の朝は 辛かったp
復員帰国した父親が 軍隊で躯を壊していたので 家業の新聞販売店の
毎朝の 広島駅と 中国新聞社への 新聞の取り出しは
新制中学へ転校したばかりの 私の仕事であった
朝日 毎日 産経などは 大阪から
日経 読売など特殊な物は 一日遅れで 東京から
夜行貨物列車で 夜明け前に 広島駅に着いた
貨物取り出し口で 担当の小父さんが 店別に仕分けをしてくれるのを
自転車で 受け取りに行くのである
新聞は 現在の自由競争専売制ではなく
戦時中から統合し 昭和二十年代後半まで 街を区域割りして 全てを扱った
まだ新聞も 直後のタブロイド版から元に戻りつつあったが 見開きくらいで
子供でも 自転車に積め 駅から 流川の中国新聞へ廻って 基町へ帰る
冬の 雨の朝は 辛かった
ろくに防寒具もなく 破れ目のある番傘を 肩から挿して 片手運転だった
夜 いくら遅くまで遊んでも 叱られなかったが
朝は 必ず 三時半には 起こされた
新聞を店に持って帰ると 区域別に仕分けして 配達さんの来るのを待つ
大人は内職にやる人が少しいるくらいで 配達は殆ど 子供の仕事であった
六時頃から 皆出掛けると 今度は 自分の担当区域の物を抱えて出掛ける
時に 配達を終わって帰ってきても 未だ 来ていない区域があったりする
母子寮などへ迎えに行くと 風邪気味なので今日は休ませてくれ と親が言う
帳面を見ながら 配らなければならない 代配という
学校から帰えると 集金をやらされたり 時にチェックに一緒に廻ったりして
一応 全ての区域は 帳面を見ると 道順など おぼろに判る
子供の 休みは 冬の 雨の日に 多い
そんな日 学校は 遅刻である
基町は 元々第五師団の輜重隊の跡に 被災者対象のバラックを急造した物と
川土手や 焼け跡を 不法占拠して 雨除けを作った処などが 混在し
次第に 一戸建てから 長屋式や 共同寮形式などを 追加して
なんとか 街らしく なっていった
長い間 水道は 一つの蛇口を 廻りの家で 共同使用であった
元々 個人の所有地ではなかったから 基町に 棲む と言うだけで
長い間 蔑視の 対象であったらしい
大坂 東京での 勤めを卒業して 広島に戻るまで 知らなかった
基町 と言う言葉で 不法占拠者 というイメージを浮かべるらしかった
殆どが ちゃんと 家賃などを支払っていたのだがな・・・・
冬の 雨の朝は 辛かった
ろくな履き物もなく 素足に 下駄くらいで 手足が かじかんで
あかぎれや霜焼けなどが よくできた 薬は 熱した油を傷口に垂らす
裸足で 釘などを 踏み抜いた時は 金槌で叩く
よくもまあ 破傷風などにならなかったものだ
子供たちに話しても 時代が違う とか 相手にもしてもらえない
ひろしまの 冬の 雨の朝は
辛かった
水の祈り 上田 由美子
「水を上げては いけない」
「水を飲ましては いけない」
「水を欲しがっても 与えては いけない」
「水を上げたら死んでしまう」
瞬く間に街中に拡がった
「水を上げては いけない」の一言は
八月六日のヒロシマで
流言飛語になって
あちこちで とぐろを巻き
舌舐りを繰り返しながら這いずり回った
一人の少女が
渦まく言葉をかき分けて
バケツにいっぱいの水を入れ
土手まで運んでいった
火ぶくれた手で
途切れて滴る命を掬いながら
こわれた人間の形のままで
アリガトウ
アリガトウ
バケツを幾重にも囲んだ背後から
死の影が幾重にもとり囲んだ
少女は水をあげてはいけないの誰の声も耳に入らず
「水を下さい」の
悲鳴の波の中に飛び込んでいき
己の心の中の叫びを頼りに
血の臭いの赤いうねりの中を
夢中でかきわけていった
今、一人の老女が土手に佇む
今年も咲いた小さな花々
ピンクの息を吹き上げながら
螺旋を描いて花開くねじり花
ここにも あそこにも
被爆者たちが微笑んでいる
私の心には いっさいの色が消え去り
天空に写し出された
パノラマのようなモノクロの映像画が見えている
追う者 長谷川龍生
アメリカの家庭に
戻り住んでいるか
あの太平洋の島にいるか
おまえを、探しだしたいのだ。
あのとき、島の基地から
いつ飛び立ったか
おまえのネームは、何んというか
あい乗りしていた飛行士たちは
だれとだれとだれだったか
八月六日 朝の九時半だ
日本広島の上空から
第二号の原子爆撃をやりとげ
何十万の人間たちを一瞬にして
光の中に焼け爛れさし、殺し
巻雲をこえて、ゆうゆうと帰路についた。
おまえたちは祝杯をかざした。
つよい酒は溢れていたか、濁っていたか。
戦争だからと、すべてを打消し
大いなる戦果に酔い痴れていたか
せつに探しだしたいのだ
おまえたちはだれとだれだったか
なぜに魂をふるわす行動にでたのか
そうだ、おまえたちは命令という
だれが命令したのか、いかなる人物か
いかに命令が伝達されてきたのか。
その上官もいうだろう
絶対であり、服従しなければならぬと
飛行士たちと上官をつれて
その絶対者を探し究めよう
おまえを支配していた奴のネームは
その権力の手はだれとだれだったか
権力者をつれて探しだすのだ。
作戦本部がだれとだれとだれかと
さらに深く掘り下げて、追っていく
いっさいを操っていた上部機関は
だれとだれとだれだったか、そのネームは
長官もいる 将軍もいる 技術家もいる
背後にある資本家、戦争科学者のネームは
だれとだれとだれだったか。
おまえたちには
罪の意識すらなし
アメリカの各州には
幾万のチャーチがあり
原爆の跡にもチャーチが建ったが
おまえたちの暴力はさらにつよい
おまえたちは原子爆弾を
第二号、第三号、第四号と
つぎからつぎへと命令し
命令されたものが命令し
最後にえらばれた数名のサディストが
おまえたちの利潤、ひたすらな利潤のため
おまえたちの市場をひろげようと
機上の人となり、何十万の人間を殺す。
だが、おまえたちは
矛盾におちいっている。
人間を抹殺できない
俺たちを抹殺できない
俺たちとは、だれか
俺たちとは追う者、追いかける者だ。
おまえたちの犯した事実を血まつりにあげて
おまえたちの生涯を審判する者だ。
生きのこつた広島の人たちよ
いたずらに傷ぐちをみせて
嘆いてはだめだ。泣いて訴えるな
だれとだれとだれだったか
探しだし深く掘りさげて
人民の犯罪者を発見しよう
殺されても、八ツ裂きにされても
俺たちの追いかける歴史はつづく
歴史はつづきながら、だんだんと
追う者の数は大きくなり
鋭くなり、優れてくる
そして最後に審判する。
俺は追う者
俺たちは追いかける者
呪いの火を噴きかける者。
「背負っているもの」語り部として 上田 由美子
広島の夏には
ヒロシマの壊れた破片が刺さる
白雲の群れからのぞく灼熱の光が
原爆ドームの先端に刺さる
川土手の石組みに夏の乾きが呻き声で刺さる
夾竹桃の花が毒を含んで川面に刺さる
川原で子供たちがはしゃいでいる
淡い茶色や赤く染まった小さな破片を
きれい きれいと戯れて
水際で飛沫を浴びて遊んでいる
私は子供たちにどうやってヒロシマを伝えたらいいだろう
その川は水面が見えなくなる程
壊れた人間の体が
川の流れに抱かれながら
海へ 海へと漂っていったことを
六十五年前
私が少女の頃
わが家で保護した三人の被爆者
傷口のない皮膚の下から
吐き出す血を洗面器に受け
次々と抜ける長い髪を紙にくるんで捨てる
人の一生が終わる悲鳴を
震えながら何日も目にし耳にした
広島は今
ガラス張りの白いビルが高くそびえていても
地底から湧き上ってくる当時の映像が
あるく、ひたすらあるく 長津功三良
あるく ひたすらあるく
蹌踉めきながら 前を行く人の
赤茶けてずる剥けの 裸足の 踵をみながら
ただ あるく
熱い 猛烈に熱い
ランニングシャツと 半ズボンだけ
剥き出しの腕は 赤く爛れ 火傷になっている
頭の髪は ちりちりだ
自分だけではない 前を 蹌踉けている人も
汚れたパンツだけになっている 女の子も
一緒に 地獄を あるいている
何処へ行くのか ただ 前をあるく人の後を 辿って
ただ 俯いて あるいている よろよろと ただあるく
時折 歩いている列から 道ばたに逸れる 女か 男か
斃れる ぼんやり 眺めながら傍を あるくと
動かない 斃れ臥したまま もう 息をしていない
あんときゃぁ なんじゃったんじゃろうか
国民学校の校庭にいたはず 水呑み場のところにおった
明るい朝の陽射しの下で 喉が渇いて 水を飲んでいた
ありゃぁ B二九でぇ 傍で誰かが空を見上げて叫んだ
あたぁ ピカーと光って 真っ黄 だか 真っ赤 だか
真っ白 だったんか 訳も分からんと
跳ね飛ばされちょった 頭にたんこぶが出来て
ぶっ倒れて 気ぃ喪ぉちょった どんだけ経ったんか
あれほど 明るい空じゃったのに 今 暗く暈を被って
お日様も 見えん 廻りは 煙だらけ 火が出ちょる
熱い 熱いけぇ みず みずが 欲しい
顔も 手も 足も 出ちょるとこらぁ みな火膨れ
どこぇ行ったら 手当をしてくれるんじゃろぉか
家もやられたんか カァちゃんは どぉしちょるんか
家の方は もぉ 燃え上がっち 見えゃせん
何がとぉなったんか 同級生も一緒だったんじゃが
まわりにぁ 知っちょる仲間ぁ誰も おらん
何処の誰か解らんが ただ前の人についてあるいちょる
とにかく あるく ただ よろよろと ひたすらあるく
そしてまた なんも考えんと よろよろと あるく
列からはみだし 道端に 斃れる
ああ
みずが 欲しい
夾竹桃 上田 由美子
真夏日の人影もない道に
夾竹桃が咲きこぼれ
茎も葉も 毒を含んで咲きこぼれ
長々と続く塀からはみ出している
どのような人が住んでいるのか
森閑とした中に
今
どのような生活があるのか
あの夏の日も
このように咲いていたのか
何万の人に吹き荒れた血しぶきを
吸い取って抱き取って
ここまで赤くなったのか
おまえは知っていて
そのように咲き誇っているのか
広島の八月六日を象徴した花が
おまえだということを
瓦礫の平野の広島に真っ先に咲いたのは
おまえだということを
炎に染まった赤い闇を
来る日も来る日も続いた
赤い疼きを
広島に七つの川が流れていても
川面に浮かぶのは夾竹桃の花ばかり
流しても流しても
あの日のことは幾千年も
澱んで川底に沈むだけ
年ごとに
おまえが花を咲かせるたびに
赤い色はますます濃くなり
花の房はますます大きくなりながら
記憶したものを語り継いで
昼夜 樹液を滴らす
記憶の中の橋 上田 由美子
そこに 決して渡れない橋がある
私の人生を一本の橋が横切っている
川は日ごとに澄んだ水を流し続けていても
そこに架かった一本の橋は時間の止まった
空白の時を背負って川をまたいでいる
その橋には 今でも女学生たちが
八月六日のヒロシマの中にいる
人間の形が壊され真黒い顔 顔 顔
微かに開いた片方の目から途切れかけた命が
姉を探す私に静かに微笑んで目を閉じた
橋は何も語ろうとはしないけれど
その橋を見る度に
歳月は押し戻され欄干の隙間から
この世に残した苦しみの血の色を吸い取って
夾竹桃が死者たちの床を見守っている
橋の向こうには街がある
夜になると赤い灯青い灯が
騒音の中でまたたき
光の帯を川面でたゆたう死者の影に流し
川風がヒュールヒュールと鳴きながら
橋を通り抜けていく
橋は何も語ろうとはしないけれど
過去からの叫びを 未来への胸騒ぎを
抱きかかえながら静かに横たわっている
もしも いつかこの橋を通れる時が来たなら
始めも終わりも見えない死者の
霊境への迷路をたどるように
祈りを唱えながら渡ってみよう
記憶が時空の彼方に消えるまで
心の襞を突き刺し
私の人生を横切る一本の橋
人間の愚行の枠に縁どられた
一枚の橋の絵が今もそこに掛かっている
良書・良作品紹介
原民喜初期作品集
2011年発行
(出版)広島花幻忌の会
没後60年となる広島市出身の作家、原民喜さんの文学活動初期であった昭和10年代作品集。
収録するのは全て短編で、自死した民喜が生前に出版を想定し、テーマを付けてまとめた「幼年画」シリーズの9編と、「死と夢」シリーズの10編。
原爆詩一八一人集
1945~2007年
(編 集)長津 功三良、山本 十四尾 、鈴木 比佐雄
(出版社)コールサック社 (2007/08)(英語版/12)
峠三吉や栗原貞子らの被爆詩人と戦後生まれの詩人らの計181人の217編からなる原爆詩集。
編集には長津副会長が係わっており、長谷川会長始め多くの会員の方々の作品が掲載されている。